2019/10/11 17:03


(昨年のふじのくにクラフトフェアの一枚)

この仕事をしてきた中で、沢山のすてきな作り手たちと出会いました。いろんな生き方を取材してみたいな~とずっと思っていました。
ブログ ははみやJOURNAL でこれから少しずつやって参ります。
生きる勇気がわいてくるような曲を作ってくれる、今のミュージシャン達。そんなことはもちろん出来ないのですが、チョット憧れており、自分なりに、いままで出会った方々にスポットを当ててみたいと思っています。
なにを伝えたいか?みんなそれぞれの命が輝いてるよ、たったひとつの自分の人生だよってことを叫びたい。
ドンドン行くぞと張り切ったわりに、どんなスタイル?など難しく考えすぎてなかなか進まないので、まずは身近なところから夫の紹介をしてみます。

夫の八木淳史さんは1974年10月6日生まれ。滋賀県蒲生郡出身の真面目で優しい父と母は共働きで、宇治育ち。小さな頃の写真を見るととっても可愛くおかっぱ頭。お父さんは、淳史はお人形のように可愛かったんや~と言ってました。可愛い妹がいて四人家族。
バザーで山水画の湯飲みを選んだり、小さなころから変わったものが好きだったとお母さんが言ってました。

大学時代は、ほとんど鴨川で寝てたんやと夫は言ってました。
卒業後、大阪の音楽イベント会社に入社。音楽が好きで、音楽の世界に憧れていたそうです。同期の人と梅田の隣で共同生活をしていました。一流のミュージシャンは丁寧に誰にでも挨拶をして頭を下げていたり、凄いところが沢山あったそうです。
某大物の食べなかったホテルの高級なお寿司を食べたとかも自慢してました。ほかにはミュージシャンの体に巻く?黒いバスタオルを買いに走ったり、たこ焼きを買いに走ったり、楽しそうですけど。。
両親はやめないでほしいと思っていたけれど、結局やめて実家に帰ってきて、京都外大の失業保険をもらいながら通える講座の試験に通って行ってみると、周りの女子の発音にビックリしたようです。全然わからなかったそうです。
そうこうしてるうちに、府民便りに載っていた「陶工技術専門校 2次募集のお知らせ」を偶然見て、2次試験にやってきました。(そこに私も受けに行ってました笑)そこの試験で彼は生まれて初めてデッサンを描いたと思います。
ド素人の淳史さんでしたが、卒業後は職人として上絵付けの窯元で働かせてもらえました。ベテラン絵付け師さんと大将に挟まれて、結婚後も、帰ってきたら頭痛いとよく寝てました。
絵付け師として親方の元で頑張って伝統工芸師などになれたら良いのかなと初めのころは思っていましたが、結局今の、自分たちで制作して売るスタイルに流れつきました。
アートの世界や職人に対しても憧れはあったようで、部屋の本棚にもいろいろ画家の本がありました。ほかに好きそうなことも色々ありました。映画、劇、本も一通りは読んで、大学時代はいろいろ人生について考えていたそうです。
彼がなぜ今この仕事についているのか、ちょっと不思議なのですが、流れのままやってきたような感じかもしれません。
今は毎日、完全独学のろくろを回し、職人仕込みの絵付けを施し、うつわとアクセサリーを持って旅に出たり、京都に来てもらったりして暮らしています。

出会ったクラフトマン、職人さんはほぼ取材していきたいです、よろしくお願いいたしまーす♡